2022年3月、全日本柔道連盟が全国小学生学年別柔道大会を廃止すると発表をしました。
全国小学生学年別柔道大会について(PDF)
その理由は行き過ぎた勝利至上主義が散見されること、
心身の発達途上にそれに陥ることが好ましくないからとしている。
このことについては陸上競技出身のスポーツ庁・室伏長官も支持している。
小学生の全国大会中止 室伏長官が支持(デイリー)
これについてはさまざまな意見があるが陸上競技の立場から僕も支持します。
■支持する理由1
サイズに依存する
→同じ学年/近い生まれ月でも6年次の身長に20cmほどの差が見られることもある。高学年でのパフォーマンスの優劣は圧倒的に体格の差がものを言う。関わりのある生徒を見ていても走りの速い小学生はとにかく大きい。
■支持する理由2
やればやるだけ伸びてしまう
→一般的に中学生頃を目処にぐんと発達する持久力(呼吸・循環系)のトレーニングを前倒しで積んだ小学生は出来上がりが早い。やはり量を重ねた子どもは速い傾向にある。個の能力にもよるが、特に小学高学年女子は走り込みなどをして足ができているとその世代では速い傾向にある印象。
■支持する理由3
大人のエゴが入り交じる
→子どもの活躍をステータスにしてしまう大人(チーム,指導者/保護者)がいてしまうこと。結果は本人の頑張りの証。理由1にも書いたように体格差がものを言う世代で能力の伸びや結果の優劣は身体成長ありきで指導の賜物なのかはわからない。
などからでしょうか。
少し僕のことをお話しすると… 小学4年生の時、北海道小学陸上で100m,走幅跳,400mRの3種目で優勝しました。が、5年生で決勝進出するも順位は下がり、6年生の時には全道出場もやっとであっさり予選落ち。体格差の少ない4年時は勝てたものの、身体成長が顕著になる6年生時にはスタートラインに並んだ中でも小さく、体格の良い同級生に負けるパターン。ちょうどその頃から陸上が楽しくなくなり、中学では陸上をやらないと決意したことを覚えています。(結果中学では陸上部に入ったんですが、自分で目的や目標を見つけられるようになるまでは不本意陸上でした)
また大会に参加するための陸上の練習は大会の1ヶ月くらい前から週に何回か行う程度。通年で練習をしていたわけではなく、普段のスポーツは週2回のサッカー少年団に通っていたくらい。(そもそもその頃は陸上少年団やクラブはなかったです。。)練習よりも遊びの分量の方が圧倒的に多かったです。
今は陸上コミュニティも活発になり多くの少年団/クラブチームが活動しています。みな頑張って練習している様子を見ますが、過去某所にて設定タイムが切れなかったのか泣きながら走っている小学生を見た時は心が痛みました。誰のためにやっているんだろう?楽しいのかな?保護者はどう思っているんだろう? ただ泣く泣かないは別として、量を重ね量で足ができている子どもは速いことが多い。速くなるから走らせちゃう。ただみんながある程度量を踏むようになる中学では量によるアドバンテージは徐々に薄れいつか淘汰されてしまう。やることの前倒しはいつかツケが来る。
子どもの活躍は大人の励みになるが、その活躍をステータスとしてしまう大人がいることも確か。「私が育てた」ではなく「この環境で育ってくれた」が適当。指導者は適切に肥料を与え育つ土壌を整えておく、保護者は挫けそうな時やあと一歩が出ない時に背中を押すくらいがちょうど良いなと思います。
あと比較。これまでの先輩方の記録や順位と比較、ご家庭であれば親兄弟の記録との比較。そこに想いがあることは大切だがその目標は適切だろうか?その子に合っているかどうかの判断をしなければならない。そして早くに好成績を納めてしまった場合、後の基準がその成績在りきとなってしまう様子も見てきました。大人も子どもも昨年の成績より落とせない、誰々には負けられない、のようなプレッシャーを感じながら行うってしんどいですよね。だからこそ小学生の好成績はギフトだと思って受け取る、競技成績的な側面では自己ベストへの挑戦を大切にしたい。
と言うわけで全国大会中止を支持する、とは言ったものの全国大会を目標に頑張る子どもがいたらそこにベストを尽くすのも僕の役割でもあるので、しっかりと指導コンセプトを持ちブレることなく、その世代・その人に合わせた内容を提供するよう心がけています。
ただ僕個人としては、思いっきり腕を振れて、気持ち先行型のがむしゃら走り、惜しみなく全力を出せる小学生が好きだったりします。
小学4年時の仁井
身長132cm,28Kg
視力 右0.9 左0.6